「脳死臨調批判」
立花 隆 中央公論社(1992年9月)1500円(271ページ)

徐 丙鉄(近畿大学工学部)98.8.10

竹内基準で脳死を判定された人は本当に意識はないのか? 脳死と判定されても脳の一部は生きている場合がある。蘇生限界点(point of no return)を超えて死へのプロセスが不可逆的に進行しているとしても、まだ生きている人間から臓器を取り出すことがあっても良いのか?この本を読むと死について考えさせられる。立花隆は脳の死が人の死であるとの立場をとる。
心臓死も脳死をもたらすから死なのだ。(p.29)
これにはほぼ同意できる。脳死判定は全脳の死を判定する必要があり、それには脳の血流停止を確認する必要があると言うのが彼の考えである。竹内基準では不十分だという。例えば、感覚神経や中枢神経は生き残っているが運動神経が死んだために刺激に反応しない場合などは竹内基準では脳死と判定される恐れがある。これは恐ろしい。自分が死に行くときそのような状態になったとするとどのように感じるのだろうか?「もう助からない」と「すでに死んでいる」を混同してはならないと立花は警告している。
心臓が停止して、全身の循環が停止し、それにともなって脳血流も停止するという事態になっても、最新の研究によると、大脳皮質の細胞は7分から15分程度生きているし、視床下部のように乏血に強い細胞になると、1時間半程度は生きている。(p.93)
視床下部は、重さにしてわずか4グラム、大きさにして小指の先ほどの小さな組織だ(p.160)。本能と情動の中枢であり、ホメオスタシス維持の中枢なのでそうだ。
視床下部が同時に自律神経の中枢でもあり、情動の中枢でもあるところから、情動が内部諸器官の動きに影響を与えるということが起きてくる。(p.162)
脳死患者を手厚くケアしてやれば、一年近くも心臓を打たせつづけることも可能だ・・・(p.146)
死は一瞬に起こるのではなく、一連のプロセスである。このプロセスのどの時点をもって死んだと判定するのかは難しい問題だ。死について考えると生の驚異が見えてくる。読み応えのある一冊であった。

gooで脳死をキーワードにして検索すると数千件のページがひろいあげられる。 以下のページに割と詳しい解説がある。



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